宮内 勝典 『バリ島の日々』


バリ島の日々

バリ島の日々

  • 1980年頃、東京湾夢の島へ毎日ごみを満載したトラックを走らせていた(P16)
  • 外来者も観光客もほとんどいなかった当時のバリ島が、ベイトソンの目にどう映っていたか。日の出の頃、人びとは三毛作の水田に出て泥まみれになって働き、暑い昼は休息し、日没の頃から、その農夫たち全てが『芸術家』に変貌するのだという。集会所の吹きぬけの屋根の下に集まり、それぞれがガムラン演奏や、踊りの練習に没頭する。たぶん戦前の日本で、村人や青年団が公民館に集まって太鼓や踊りを練習するのと本質的には同じだろうけれど、バリ島ではそれが、まさに『芸術』としか言いようのない恐るべき水準にまで洗練されていくのだ。そして儀式の夜、ガムランを鳴らし、舞い、踊り、集団トランスに入り、共同体の臨界点までいく。その恍惚によって実存は満たされ、農夫たちの一人ひとりが神性や魔やエロスの至高体験に入り、次の朝、ふたたび水田にもどっていく。そして何日かたつと次の祭の日がやってきて、集団トランスが巡ってくる。分業化しているのではなく、共同体の一人一人が実存の全体を生きていくのだ。(P23〜24)